造形表現と和紙との関わりは、日本画や版画などを中心とした絵画の支持体はもとより、様々なデザイン素材として利用されるなどたいへん幅広く、そして密接な関係にあります。そんな和紙は、飛鳥時代に中国より紙の製法が伝わったのち、日本独自の風土や文化に合わせた材料・製法の研究が積み重ねられ、世界でも稀に見る良質で個性的な紙へと発展していきました。 現存する最古の和紙は、正倉院に保管されている戸籍を書き記した帳簿に用いられた紙だと言われています。今からさかのぼること約1300年前の702年(大宝2年)、大宝律令が施行された頃のものだそうです。その強度と保存性・技術力には目を見張るものがあります。そして、その戸籍用紙の一部は美濃国(現在の岐阜県南部)でつくり上げたものだと判っています。美濃紙は、当時の様々な文献にも記されているほど、良質な和紙として評判でした。そこで、今回われわれは、脈々と受継がれてきた美濃紙の文化や伝統技術、さらに実際に使用されている道具や器具などにも注目し、その魅力に迫るべく、和紙が生み出される現場を訪れました。
岐阜県の南部を通る長良川鉄道の美濃市駅周辺に広がる「うだつ」が上がる町並みから、車で20分ほど山並みの間を縫うように流れる長良川の支流である板取川に沿って行くと、現在も変わらず残る美濃紙の紙郷「牧谷」があります。和紙は、製作の工程で大量のきれいな水を必要とするため、このような川の側に紙郷が栄えたようです。今回はその紙郷の中の一軒で本家から数えると15代(美濃竹紙工房としては2代目)続くという漉屋である「美濃竹紙工房」を訪れました。
この日は陽気こそいいものの、まだまだ春には一足早い3月の寒空の広がる朝にもかかわらず、我々が到着したときには、すで工房の前には漉きたての和紙が張り付いた数枚の大きな干し板が立ち並び、紙漉の作業は始まっていました。干し板の間を抜けて奥へ入っていくと、やや古びた木造の工房が建っていて、その中の八畳程度の部屋で紙漉職人である鈴木豊美さんが黙々と漉舟(すきぶね)に向かい漉桁(すきけた)を小気味よく揺らして紙漉きを行っていました。この工房は、重要無形文化財保持団体「本美濃紙保存会」の会員である義父の竹一さんの工房なのですが89歳とご高齢であるため、現在ではご子息のもとへ嫁いだ豊美さんが「紙漉の伝統や技術を、どんどん次の世代へ伝えなくては」との一心で、その後を継いでいます。また、隣の部屋では、漉き上げた紙を干し板に張り込む作業を、竹一さんの奥さんであるはぎさんが87歳のご高齢にもかかわらず、手際よくテキパキと作業を進めていました。この他にもご子息などが手伝ったりと家族が一丸となって工房を支えていること、そして美濃紙の伝統文化の一端をこのような方々がしっかりと担っているのだと実感することができました。
(取材日:2007年3月)
1.刈りとり
2.蒸し
4.外皮(あらかわ)とり
3.皮剥ぎ
5.水浸け
6.煮塾(しゃじゅく)
8.叩解(こうかい)
7.ちり取り
9.紙漉き(かみすき)
10.脱水
12.選別
11.乾燥
13.製品

※アイコンをクリックすると詳細を見ることができます。

※この図版は「『美濃紙抄製図説』岐阜県勧業課/編 1880年」
に掲載されている工程図の一部を利用したものです。

>> 制作メモ
造形ファイルTOPへ戻る